2017/3/12 名古屋ウィメンズマラソン当日
名古屋ウィメンズマラソン展望E
元トライアスロン選手の山本コーチとの異色師弟
35歳・早川が“0.01秒”にこだわり、世界に最後のチャレンジ

 35歳の早川英里(TOTO)が世界へ最後の挑戦をする。ここ2年間は2時間30分を切ることができていないが、「自己新記録と世界陸上代表入り」の目標がぶれることはない。

 早川にとってはまさに“思い出の名古屋”である。2012年大会では7年ぶりに2時間30分を切り、実業団チーム加入のきっかけとなった。翌13年大会では9年ぶりに自己記録を更新。14年大会では自己新記録でアジア大会代表入りを決めた(表参照)。
 だが、前述のようにここ2シーズンは結果を出せていない。原因は、15年は調整ミスの可能性が高い。追い込んだトレーニングができたが、本番までに心身ともにフレッシュな状態にすることができなかった。前回は、2月こそ良い流れで練習ができたが、年末年始に体調を崩していた。どちらも年齢的な変化も影響した可能性がある。

早川英里のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人順位 記 録
1 2002 12.08 ホノルル 4 2.32.42.
2 2003 12.14 ホノルル 1 2.31.57.
3 2004 3.14 名古屋国際女子 8 2.30.47.
4 2004 12.12 ホノルル 2 2.28.11.
5 2005 10.09 シカゴ 5 2.28.50.
6 2005 12.11 ホノルル 2 2.32.59.
7 2006 4.23 ロンドン 10 2.31.41.
8 2006 12.10 ホノルル 3 2.32.31.
9 2008 12.14 ホノルル 11 3.07.39.
10 2009 12.13 ホノルル 5 2.44.33.
11 2010 4.18 長野 3 2.33.05.
12 2010 10.31 アテネ 4 2.40.25.
13 2010 12.12 ホノルル 5 2.42.12.
14 2011 11.20 横浜国際女子 12 2.36.37.
15 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 11 2.28.19.
16 2012 11.18 横浜国際女子 9 2.33.21.
17 2013 3.10 名古屋ウィメンズ 5 3 2.26.17.
18 2013 9.29 ベルリン 7 2.37.45.
19 2014 3.09 名古屋ウィメンズ 4 2 2.25.31.
20 2014 10.02 アジア大会 4 2 2.33.13.
21 2015 3.08 名古屋ウィメンズ 10 6 2.30.21.
22 2015 9.27 ベルリン 14 2.31.27.
23 2016 3.13 名古屋ウィメンズ 16 12 2.31.47.

 2011年から早川を指導し長期間の低迷から復活させたのが、元トライアスロン日本代表の経歴を持つ山本光宏コーチである。
「いくら良い練習をしても結果に結びつかないということは、どこかに指導ミスがあったと思っています。(指導して7シーズン目となり)20歳と26歳の違いはそれほどないかもしれませんが、30歳と35歳の違いは未知の部分。駅伝に合わせることはできていますが、マラソンではそれが難しくなっている。だからこそチャレンジし甲斐があります」

 そのために「0.01秒にこだわった」という。1歩で0.01秒を縮められれば、42.195kmで5分違ってくる。
「30歳を過ぎた早川が追いつくためには、走る練習だけでは追いつきません。名古屋で結果を出してきた良いところは継続し、今回はさらに、速い選手はなんで速いのかを突き詰めた強化をしてきました」
 これまでも、使えていなかった筋肉の強化をするため、独自の筋力トレーニングや自転車の活用をしてきた。山本コーチがさらに踏み込んで考え、それを早川に提案した。具体的には明かしてくれなかったが、本当に地味な動きを繰り返すようなメニューらしい。「筋肉をきっちり収縮させて、きっちり伸ばす動きは意外とできていない」という言葉にヒントがありそうだ。
「目的意識を明確にしないと、ただやっただけになってしまう。そういうトレーニングだからこそ、正確に行わないといけません。0.01秒につながるトレーニングができたかどうかが、今回の名古屋につながると思います」
 早川も自分を復活に導いてくれたコーチを信じ、トレーニングの意図を理解し、黙々と取り組んだという。

 早川は淡々と取り組み、内面までは山本コーチにも見せなかったという。「ここから先は私がやるから、立ち入らないで」という領域もあったという。コーチはコーチで「選手の努力に見合う指導をしたい」と必死で考え続けた。
 名古屋で代表入りできなければ、世界を目指すマラソンは最後になる可能性がある。そこは師弟とも認識してはいるが、2月の合宿に入ってからはロンドン世界陸上に行くことだけを考えてきた。
「それ(最後になる可能性)を言われると私は感傷的な部分もありますが、名古屋に向けては2人ともそういった気持ちはゼロで、0.01秒にこだわってやってきました。リオのメダリストが『私はこれ以上できないことをやってきた』と言っていましたが、指導者もこれ以上できることはない、と言えなければ戦えません」
 30歳を超えて実業団入りした超遅咲き選手と、元トライアスロン選手という異色師弟の挑戦を最後まで見届けたい。


寺田的陸上競技WEBトップ